0歳児を見ていて学ぶことが多かった
我が家に子供が生まれて約一年、日々、子供の様子を見ていくうちに、なんだか逆に学ぶことが多いなぁと思うようになりました。
なぜかというと、大人になっていくと個人差はあるものの、みんな一定のリズムで生きていくようになりますよね。
例えば、朝何時に起きて、何時から何時まで会社に拘束され、やることが決められていて、何時に帰宅して就寝するまでにやることが定型化されていて~ と、同じサイクルの生活をしているうちに思考が停止してきます。
ところが、生まれたばかりの子供ってまだ自分で出来ることが限られているし、生活サイクルも出来上がってない状態なんですよね。
それってつまり、まだなにも定型化していない、人間が本来持っている本質に近い存在なんじゃないかと思うようになったわけです。
そんな0歳児の様子を見て気付いたことを挙げていきます。
朝目覚めると、機嫌が良い
朝、憂鬱な気分で目を覚ます大人はどれくらいいるでしょうか?
毎日毎日、朝が来ることが憂鬱な人生って物凄く不幸なことですよね。
次の日の朝がやってくる前から、負の思考が働いて憂鬱な未来しか考えられなくなってしまいます。
ところが、赤ちゃんは朝起きるとすぐにニコニコして機嫌良さそうにしています。
朝が来て一日が始まることは、本来嬉しくて素晴らしいことなのだと思いました。
私も朝目が覚め、ふと子供のほうを見るとニコニコしてこっちを見ていて、なんだか一日幸せな気分になっていました。
失敗してもあきらめずにチャレンジする
たった1~2回の失敗であきらめてしまう大人はどれくらいいるでしょうか?
赤ちゃんは何度も何度もチャレンジしては失敗を繰り返し、少しずつ成功して次のチャレンジを始めていきます。
赤ちゃんはそうして寝返りが出来るようになったり、立つことができるようになったり、歩けるようになります。
チャレンジして成功してもなお、次のステップに果敢に挑戦して向上を目指すことは、大人の場合、なかなかできないですよね。
チャレンジ精神を持ち、あきらめずに挑戦するということは非常に重要なことです。
「ちょろっとやってみたけどできねーや」では全然成長がありません。
「これが出来るようにならないと生きていけない」ぐらいの気迫を常に持っていると良いかもしれませんね。
何に対しても興味を持つ
赤ちゃんにとっては、生まれて初めて見るものばかりです。
大人でも、生まれて初めて見るものって意外と多いですよね?
でも、大人は初めて見るようなものでも、ジッと見たり触ってみたり して、それがどんなものなのか調べつくそうとすることはなかなかありません。
赤ちゃんは納得するまでとにかく触りまくったり観察しまくります。
世の中のあらゆるものには価値があるとういうことに気づかされますよね。
身近にあるモノは、慣れてしまうと意識すら向かなくなってしまいますが、
「使い道によってはもしかしたらすごいことができるのかもしれない 」と考えながら興味を持ち続けたいですよね。
起きている間、とにかく動く
大人になると、一日のうちでただボーッとテレビを眺めたり、何も考えずにただビールでも飲んで過ごしがちです。
しかし、人生の時間は限られています。
「一日生涯」という言葉があるように、赤ちゃんは一日を精いっぱい生きることを実践しているように見えます。
一日中動き回り、満足できる日は大人になるとなかなかありませんよね。
起きている間はとにかく動き回って、寝るときは超グッスリ眠る。
こんな日々を送ればとても充実した人生になっていくと思います。
周りの人を喜ばせることで喜ぶ
子供が初めて立ちあがって、手をパチパチ叩いている姿をみた周囲の大人たちが
「すごいすごい!」と喜んでいると、子供はその喜んでいる大人たちを見て、楽しそうに何度も立ち上がって手をパチパチと叩いていました。
つまり、周囲の大人たちが喜ぶので、何度も立ち上がって嬉しそうに手をパチパチ叩いているように見えました。
誰かを喜ばせることを自分の喜びにできる大人はどれくらいいるでしょうか?
「人の不幸は蜜の味」なんて思っている人もいるようですが、人に喜びを与えられる人のほうがはるかに価値があります。
人に喜びを与えて自分も喜べる。そうなれば全員がWIN-WINです。
感情が素直すぎる
嫌いなのに好きなフリをしたり、好きなのに嫌いなフリをしている大人はどれくらいいるでしょうか?
赤ちゃんは好き嫌いをまさに全身で表現します。
大人になれば、本当はムカついて仕方がない相手にも好意があるフリをしたり、周囲に合わせるためだけに嫌いなものを好きなフリをする場面があったりしますよね。
しかし、そんなことをしていたらストレスが溜まって体に悪いだけです。
変に考えすぎずに、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。とはっきりしたほうが、ずっと楽な人生になります。
周りの大人のマネをする
赤ちゃんの周囲には基本的に、自分よりもずっと成長した大人たちが常にいる状態です。
赤ちゃん側はまだ何も分からない状態ですから、まずは周囲の成長した大人を見てマネすることで、成長していきますよね。
しかし大人になると、自分より能力が高かったり、結果を出している人を見てマネしようとするでしょうか?
大体は、自分なりの色を出したがって失敗するケースが多いです。
自分より上を行っている思ったら、素直にマネをしてみる。
そんな謙虚さを持って生きていきたいですよね。
0歳児から学ぶことまとめ
まとめると、人間は生まれたばかりのころは
- 一日の始まりを楽しむことができる
- 不屈のチャレンジ精神を持って向上している
- あらゆるものに価値を見出している
- 時間のあるかぎり動き続ける
- 人を喜ばせることで自分が喜ぶことができる
- ひねくれていない感性を持っている
- 自分より優れたものに対して謙虚さを持っている
こんな特徴を持っているわけです。
これだけの特徴を持った大人がいたら、とんでもなく凄いですよね?
大人になっていく過程で、いろんなことを学びながら特徴がどんどん変化して今に至っているわけですよね。
しかし本来は上記のような特徴をみんな持っていたわけですから、変な方向に向かって自分を苦しめる結果になっていないかを見つめ直してみると良いかもしれませんよね。
20年近く前に流行った個人ホームページ
2018年現在、ウェブの世界では個人のサイトでも高クオリティなものが圧倒的に多くなってきましたよね。
形式も、ホームページというよりはブログのように日記や役立つ情報を載せているものが溢れかえっています。
しかし1998年ぐらいの当時は、パソコン=オタクのイメージがまだ残っており、今では考えられないですが法人ですらホームページを持っているところはさほど多くありませんでした。
私は当時、学校で情報処理を専攻していたため、プログラミングやウェブサイト作成などをしていましたが、やはり一般的に見ればオタクに見えたかもしれません。
それから2000年に入ったぐらいの頃から、無料のレンタルサーバや、無料掲示板がかなり普及して、それに伴って個人のホームページが爆発的に増えていきました。
当時はどうやってホームページを作っていたかというと、Windowsに標準装備されていたfrontpageというソフトを使ったり、メモ帳にHTMLをタグ打ちするツワモノまでいました。
振り返ってみると、ホームページが乱立していくなかで、かなりダメなサイトも多かったな~と思います。
しかも、大体ダメなサイトは共通点が似通っていたりするんですよね。
そこで、当時のよくあるダメサイトの共通点を、思いつく限り挙げてみようと思います。
サイト名はとりあえず「名前's Homepage」
サイト名をパッと見ても、ものすごく印象に残りません。でも何故かやたらと乱立していたような気がします。
私の友人たちもこの手のサイト名でしたが、リアルで会話しているときもホームページの話題はそこそこ出るものの、サイト名を口に出すことはまずありませんでした。
今では個人でも凝ったサイト名を付けているところが圧倒的に多いですが、ごくまれにこの手のサイトを未だに見かけます。
そのたびに、「おっ!なんか懐かしい」と感じてしまいます。
サイトを開いた瞬間に、MIDIが大音量で流れる
開いた瞬間、一瞬動作が止まったと思ったら突然大音量で変な音楽が鳴り始めるサイトありましたよね?
それが仲の良い女友達のサイトとかだったら、ダメ出しするのもなんか気が引けるので、MIDIが流れ始めた瞬間にブラウザの中止マークをクリックしていました。
でも、日記とかを読んで戻るボタンを押してトップページに戻れば、再びMIDIが大音量で流れます。ものすごくめんどくさいサイトです。
背景画像などにやたらとGIF動画を貼りたがる
なぜか背景にGIF動画が一面に貼られていて、文字が見づらいし目が異様に疲れるサイトありましたよね?
まったくもって訪問者への配慮がなく、容量も重くてすぐ閉じてしまいます。
無料の画像素材サイトも結構多くて、その中でも「静止画よりはGIF動画のほうがなんとなく凄い」という理由から、サイト制作で多用していたのかもしれませんね。
性別は「両性」を名乗っている
自己紹介の性別欄で「両性」を名乗るものが多くなかったですか?
しかも性別を「両性」と表記している人はほぼ高確率で男でした。
そんなに性別って知られたくないことなのか!?と思い、一気にそのサイトを見るモチベーションが下がりました。
性別を知られたくないなら、そもそも性別欄を設けるなって話ですよね。
やたらと工事中のコンテンツが多い
当時の個人サイトのコンテンツといえば、
・自己紹介
・更新の止まった日記
・読まれる確率が著しく低いポエム
・たまに自作の下手絵
・リンク
がメジャーでしたが、メニューの半分ぐらいはクマのGIF画像がお辞儀しながら「工事中です」の文字のページでした。
それを見た瞬間に、見る側もモチベーションが下がってさっさとブラウザを閉じていました。
しかも工事中のコンテンツは、完成する前に大体がサイト丸ごと放置状態になります。
20年前のサイトと比べたまとめ
当時の個人サイトの日記なんかは、日常生活を完全に「報告」するだけの日記でしたが、その後2005年ごろに日本に上陸したセールスレター技術なんかが広まって、より読み手を意識した書き方が浸透してきたように思えます。
また、当時は個人サイトであっても、審査を通ればヤフーのカテゴリーに掲載されることがあったため、それが目標でサイト制作を頑張る人もいました。
現在では検索結果上位に表示されるためにSEOを意識したり、濃い読者を増やすために専門特化した情報を掲載していくなど、個人サイトといえども戦略性がかなり高くなりました。
サイト制作自体も、ワードプレスの登場によって初心者でも本格的なサイト運営が出来るようになるなど、ウェブの世界の進化はものすごく早いですよね。
これから20年後、ウェブの世界が一体どうなっているのか楽しみでもあります。
年上の部下への接し方
「年功序列」の会社図がすっかり衰退した日本。
代わって登場した「成果主義」が一時期騒がれてましたよね。
さらには「終身雇用」体制も崩壊して転職が盛んな世の中になりました。
そうなれば会社内では、新卒で10年目でバリバリやり手の社員だったり、他社で10年勤めたあとに中途採用で1年目のペーペー社員などが入り混じる現象が起きたりします。
その結果として、「年下の上司」「年上の部下」が出現しますよね。
私も管理職の経験がありますが、「年上の部下」がいたことがあります。
年齢は関係ないとは言われますが、やはり心の中で引っかかる部分はありますよね。
今回は「年上の部下」に対する接し方の悩みについて、私なりに感じたことをいくつか挙げていきます。
1.いきなり敵視される
上司を名乗る年下の人が突然現れたらどうでしょうか?
それまで十分に信頼関係の構築や、実力をお互い把握している状態なら別として、基本的には「気に入らない」と感じる人は多いです。
こちら側としては全然敵意を持っておらず、むしろ好意的であっても、立場の違いというのは強い心理的な壁を生みます。
私も最初は話しかけてもスルーされるようなこともありましたが、めげずにまともな対応をしていけば関係性が構築されていきますので、やはり信頼を作るには時間がかかるということですね。
2.指示の出し方に悩む
上司である以上は、指示を出さないといけない場面がかなり多くなります。
しかし、年下に命令されるというのは良い気分ではありません。
指示をするだけで「偉そう」と思われ、敵意を抱かれることもありますよね。
そこでサラッといく人、強硬にいく人、腰を低く謙虚に「お願い」する人で別れると思います。
私はサラッと指示することを心掛けていますが、冷たそうな態度ですと、相手も良い印象を持ちませんので、態度に気を付けるようにしていました。
相手が余計なことを考える隙もなくサラッと指示を出すようになるにも、それまでの信頼関係や慣れが必要です。
3.敬語を使うべきか悩む
見ていると、年上の部下に対してタメ口で会話する人もいれば、敬語で会話する人もいますよね。
「ナメられたらいけない」と思っている人は、更に偉そうで高圧的な態度で話している人もいます。
ただ、やはり偉そうで高圧的な態度を取っている上司が人望を得られることは100%ありません。
偉そうに高圧的な言動をしている上司は、表向きはみんな聞いているようなフリをしますが、内心は「常識を知らないバカ」と思われがちです。
「ナメられないため」という意識は必要以上に偉そうで高圧的になりますから、「こちらの指示を聞いてもらうため」とか、「率先して自主的に動いてもらうため」という目的を持って、どう対応すれば良いかを考えたほうがいいです。
ちなみに私はずっと敬語で接していましたが、特にナメられたことはなかったので、敬語で接してもまったく問題ないです。
結局、どう接すべきなのか?
私としては、まず仕事上の実力でズバ抜けるのが一番だと思います。
業務内容が上司と部下では違うため、どの部分の仕事でズバ抜けるかは意見も分かれると思いますが、基本的には自分の仕事の腕を上げることを優先したほうが良いです。
それが難しければ、部下のみんなが勝てない分野でズバ抜けることでそれを利用できます。
例えば私は、仕事とは直接関係のないスマホの設定や相続の知識等を使って年上の部下の相談に乗ったりしていたため、徐々に信頼を得ていきました。
そうした「みんなよりも優れた部分」をうまく利用していくことで、円滑に動いてくれるはずです。
「相手に何とかなってもらう」というよりも、「自分を活かす」という感覚を持っていくと意外とうまくいくかもしれませんね。
元公務員が考える、実際に公務員やってみて感じたメリット・デメリット
世の中の「公務員」のイメージといえば、
・安定している
が一番だと思います。
日本がバブル崩壊や就職氷河期なんかの出来事があって終身雇用制が崩れてから、やたらとこの「安定性」の価値が高まってきたため、「公務員」という職業は非常に人気がありました。
ここでは私が公務員になってみて感じたメリットとデメリットを考えていきます。
「公務員になることは良いことなのか?」「本当に安定しているのか?」「どんな人が公務員に向いているのか?」という視点で色々考えてみました。
公務員のメリット
公務員になることのメリットはいくつかありますので、挙げていきます。
社会的信用度が高い
これはどこに行っても「公務員です」。と名乗ればいきなり信用されます。
公務員といえば「お堅い人まじめなたち」というイメージもあって、”危険人物ではありませんアピール”にはもってこいです。
さすがに「国」の信用度はものすごく高いです。
どうしても「信用」を得られる身分が得たい!という人であれば、公務員はとてもマッチしているといえるでしょう。
親戚や友人たちから一目置かれる
「国」という信用があるわけですから、当然親戚や友人たちから「立派な人」という印象を与えることができます。
両親としても自分の子供が「立派な人」になれば親戚たちに誇れると思います。
(私の場合は、父がもっと上級の公務員だったため、あまりインパクトがありませんでしたが・・・)
「両親のために立派な身分になりたい!」
「親戚たちから褒められたい!」
「友人たちに誇りたい!」
という人は、もしかしたら公務員になってみると良いかもしれませんね。
女性にモテる
友人に誘われて合コンなんかに出てみると、公務員というだけでかなりモテます。
最初に入り口に関しては公務員と名乗るだけで、女性たちが興味を示してくれます。
やはりその理由も「信用できる」「安定している」等、結婚相手の候補として挙げられやすい職業イメージだからです。
ただ、もちろん恋愛関係などで最後に決まるのはマンパワーな要素が強いですから、人間性も磨いた前提での話です。
「もともと普通、だけどさらにモテたい!」
なんて人は、公務員になると更にモテるかもしれませんね。
意外と転職しやすい
私自身が感じたのは、意外と民間企業へ転職しやすいです。
その理由もやはり、
「得体のしれない所からやってきた人よりも、”国”のもとで働いていた人のほうが安心」
という部分が少なからずあると思います。
私が民間企業へ転職して人事の人に聞いたら、
「彼は巨大組織の人だし、まさかうちなんかに来るはずないと思って内定を出した」
と言っていましたから、
いかに”国”の信用力が絶大かが分かります。
公務員のデメリット
メリットがあればデメリットもあります。
次はデメリットの部分を挙げていきます。
根強い縦割り社会
民間サラリーマンでも言えることですが、「上司がバカ」というリスクを抱えています。
公務員の場合は「上の命令は絶対」という雰囲気が特に強い縦割り社会ですので、例え上司がどんなバカであっても従わなければなりません。
公務員の場合は2年毎での人事異動が多いため、バカ上司がいなくなる可能性もありますが、その次もまたバカだとエンドレスにストレスが溜まります。
上司がバカであることによって
「精神を病んで精神疾患になる」
「退職せざるを得なくなる」
というリスクがあるため、とても安定しているとは言い切れません。
実際に、私の先輩も「上司がバカ」であることによって妻子がいて住宅ローンを抱えた状態で退職した人もいますから、「公務員=安定」は幻想です。
ちなみに私もバカ上司に当たったことがあり、下が意見を言うことは許されない的な雰囲気でしたが、ガンガンに反抗的な態度を取っていたため、「ことなかれ主義」の世界では問題児扱いされていました。
「下から何かを提案をする隙が一切ない」
というのが非常に窮屈さを感じさせました。
副業が禁止されている
これは痛いです。本当に痛いです。
公務員は「安定」というイメージですが、辞めたら収入口が0になってしまうリスクがあります。
収入口を1本に頼り切るなんてのはとてもじゃないですが「安定」とは言い難いです。
今でこそ公務員の副業解禁は検討されていますが、「収入口を増やす」なんて発想自体が公務員の世界にはありません。
以前、消防士が副業で風俗を経営して荒稼ぎしていたなんてニュースがありましたが、逆に言えば
「”公務員”だったからニュース沙汰になった」
とも言えますよね。
世間からも監視されているので、公務員はとにかく窮屈さがあります。
周囲に向上心溢れる人が少ない
上司や同僚たちを見ていたら、とてもじゃないですが向上心のひとかけらもなく、仕事の時間が終われば飲みに行き愚痴を言うだけの毎日です。
私は飲み歩いて愚痴愚痴するのが性に合わなかったので、仕事が終われば本屋へ通って毎日学習する時間を必ず設けていました。
しかしよく考えてみれば、公務員はいくら向上心を持って努力しても、ガンガン飛び級できるわけではありませんし、そつなく過ごしていれば自動的に昇格していく流れが強いです。
つまり、「向上心を持つことにあまり意味がない」世界でもあります。
そうなれば当然「向上心を持って沢山のことを学ぶこと」は無駄な時間にしかなりませんから、周囲もそれが当然のような空気になっていました。
給料が規定通りにしか上がらない
公務員はなぜか一般的には金持ってそうなイメージがありますが、ぶっちゃけると給料は驚くほど安いです。
公務員は安定とはいうけど、実は給料が低いまま安定してるという意味なんじゃないかと思うほどでした。
民間では少なからず給料の交渉をする余地がありますが、公務員の場合は給料表というものに沿って決められているため、給料に関する交渉をする余地が一切ありません。
よくニュースで「今夏の公務員のボーナス額は~」と出るたびに批判が出ていたりしますが、
「毎月の給料が低すぎてボーナスがなければとてもじゃないけど年間収支が赤字になる」
というのが私の感想でした。
スキルが身に付かない
これも職種によりますが、絶望的にスキルが身に付かないです。
というよりも、完全に内部でしか通用しないスキルしか身に付きません。
もっと言ってしまうと
「利益を生むスキルが身に付かない」
ということです。
公務員になると、はじめに
「国民の利益のために追力し~」
というような誓約書を書いたり宣誓します。
つまり、公務員というのは自分の利益を度外視した奉仕精神が必要な仕事です。
そのためか、周囲を見ていたら利益を生むスキルが身についていないため、民間企業へ転職することを必要以上に恐れている人が多かったです。
私の場合は、当時から実業家の友人たちと付き合いがあったため、実業家たちの物凄い情熱やハングリー精神に比べ、自分の勤めている職場の「ことなかれ主義」に染まった空気と、まったく違う温度差にかなり戸惑いました。
公務員のメリット・デメリットまとめ
まとめると、公務員に向いてる人と向いてない人は次のようになります。
公務員に向いてる人
・自分のことより他人のために働きたい人
・何も考えずに、与えられてくるものをそつなくこなすスキルを身に付けたい人
・いろんな理不尽に我慢できる人(超重要)
・名誉や誇りを大事にしたい人
・周囲から立派だと思われたい人
公務員に向いてない人
・自分の力で稼ぎたい人
・色んな監視の目が窮屈に感じる人
・マンパワーで勝負したい人
・向上心と努力を惜しみたくない人
・経済社会に揉まれて刺激を受けたい人
・愚痴を言うために飲み歩く時間がもったいないと感じる人
本当の”安定”とは?
一般的に「安定」していると思われる公務員ですが、私個人としては全然そうは思いません。
というのも、「安定」は必ずしも誰かから与えられるものではなく、自分なりに創意工夫して作り上げていくものだと思うからです。
人によっては公務員がめちゃくちゃ向いていて、今後一切辞める気もないし、仕事に生き甲斐を感じている場合は、そこが安定の地でもあるし、収入口を増やすことが真の安定だと考える人もいますよね。
全ての正解は現実に起きていること
ですから、公務員をやっていて安定してる感じがしないということであれば、勇気をもって色々行動してみると良いと思います。
人に人を紹介するリスクの話
だれかに対して、誰か知っている人を「紹介」することは、結構経験ある人もいますよね?
例えば、学生時代に友人に対して、その友人と同じ趣味を持つようなほかの友人を紹介したり、恋愛目的で異性の友人を紹介したり。
こうした仲介をすると、紹介した双方から頼られるため、案外いい気になってしまったりするものです。
でも、案外リスクがあります。
それも、ビジネス上のことだと結構ダメージがデカいです。
私が以前、人を紹介したときの話です。
学生時代に知り合って、10年以上の付き合いがある友人がサラリーマンとして在職しながら、仲間と会社を立ち上げてバタバタしていました。
そんな友人の副業的な会社もだんだんと売り上げが伸びていき、
「新しく社員を雇用したので助成金の説明を受けたい、誰か社会保険労務士を紹介してほしい」
と私に頼んできたのです。
昔から知っている友人だったのと、学生時代は他の友人を紹介してもなんら問題がなかったので、快くこれを承知して、私の知り合いで社会保険労務士法人を経営している先生を紹介してあげました。
ところが。。。
しばらく経つと、社会保険労務士の先生から、私にちょくちょく電話がかかってくるようになりました。
内容はというと
「彼が遅い時間にアポを取ってきたので、社員を待機させていたところ、サラリーマンの仕事のほうが残業になったからという理由でキャンセルされた」
「やっと次のアポの時間に現れて、説明したら、ボッタクリだと言いだして話が一向に進まなくて困っている」
等々、私もその話を聞いているだけで「は?」と思いましたが、一方の意見だけでは公平な意見が言えないので、友人にも話を聞いてみました。
すると
「俺はサラリーマンだからアポの時間帯が遅くなるのは当然だ」
「俺はお客様なんだから、こちらの都合でキャンセルしてもなんらおかしくはない」
「ネットで調べたら、もっと安いところがいくつもあった」
うーん、、、
「長年の付き合いがある友人だから、ビジネス上でも信頼できる」
というのは完全に間違った認識でした。
(もちろん、友人としてもビジネス上でも信頼できる人はいます)
その後私は、社会保険労務士の先生に謝罪をすると、
「いつもはああいう客はこちらからお断りするんだけど、ひろさんの紹介だから我慢して対応した」
と、信頼関係が逆に悪い方向へと進んでいました。
この事件がきっかけで、社会保険労務士の先生とはなんとか関係を修復できましたが、学生時代からの友人と縁が切れました。
その結果、
「信頼は作るのに時間がかかるが、失うのは一瞬である」
という教訓を得ました。
また、後日知ったのは、友人は会社を立ち上げて「俺は経営者」と色んなところでアピールしたかっただけで、実際はその友人の仲間が主体となって運営しており、友人は幽霊部員のようなポジションだったようです。
こうしたビジネス上のことに限らず、男女の仲介なんかをしても、紹介した男、もしくは女がとんでもない浮気癖があったとか、気の合いそうな友人同士を紹介したら水が合わなくて揉め始めたとか、結局そうした「うまくいかなかった紹介」は、自分自身が巻き込まれるリスクがあります。
「紹介したあとのことは当事者同士の問題ですよ」
とあらかじめ伝えても、個人的にあまり効果がないと実感しています。
まとめると、「紹介」することについて次のことが挙げられます。
・紹介した当事者同士がうまくいかなかった場合、こちらも信頼を失う可能性がある
・紹介によってその人の「本性」が見えることがある
・ビジネスにおける紹介の失敗は大ごとになる可能性がある
・「紹介」する場合は、友人は友人、男女は男女、ビジネスはビジネスでそれぞれ信頼できる人同士を繋げること
・紹介が繋がってうまくいった場合は、逆に自分の信頼度も上がっていくこと
これらの教訓をもとに、本当にその人を紹介して良いのかどうかを見極めるとともに、
自己満足のために紹介を繋げるのではなく、本当に「当事者同士にとってその紹介をして良い結果をもたらすのか」で判断していくのがベストです。
あらためて「信頼は超重要」ってことが分かりますよね。
私も今は友人や異性間、ビジネスでは完全に切り離して、本当にその分野で信頼できる人かどうかを見極めて紹介を繋げているようにしています。
その結果、とても円滑に紹介を繋げることができています。
どうしてもこの友人は昔からの仲だし信頼関係出来ているから、仕事上でも問題ないだろう。と考えがちですが、ぜひそこは切り離して考えてほしいです。
「資格」は何のために取得するのか?
世の中にはものすごくたくさんの「資格」がありますよね。
その資格の中でも
・国家資格
・公的資格
・民間資格
と3つに分けられていて、なおかつその分野も医療系から法律系から工業系から、とにかく多種多様すぎます。
こうした資格を取得するための難易度に関しても、1週間程度勉強すれば取得できるものから、途方もない時間と労力をかけないと取得できないものまで、たくさんあります。
これからなんらかの資格をあなたが取得しようと考えている場合、
「会社から言われて仕方なく受けなければいけない」
「資格を取得すれば給料がアップするから」
とか、
「現状をなんとか好転させたい」
「将来の不安を和らげるための保険」
あるいは、
「人生を一発逆転させたい」
などなど、色んな理由があるのではないでしょうか?
もちろん資格を取得しただけでは何が変わることはありません。ただ「肩書き」が増えただけです。
ただ、時間と労力と金をかけて勉強して取得したにも関わらず、なんの役にも立たなかったり、それ以前に途中で諦めてしまえばただ人生の時間を無駄にしただけになります。
もしあなたがなんとなく資格を取得したいと考えている場合は、「取得した後はどうしよう?」という展望を見据えたうえで勉強を始めると良いと思います。
ちなみに私が持っている資格だと、
・旧普通自動車免許
・普通自動二輪免許
・運行管理者
・消防設備設備士
・2級ファイナンシャル・プランニング技能士
・行政書士
と、仕事上、会社の命令で取得したものから、「取得すればなんかの役に立つだろ」と適当な理由で取得した資格もあります。
ただ気付いたのが、そうした業務上どうしても必要な資格以外の「資格を取って役に立つのか?」ということです。
会社の仕事上で必要な資格であれば、「資格手当」がついて収入がアップしますが、ハッキリ言うと「活用できない資格は時間と労力と金の浪費」なのではないかと思います。
もちろん、資格の勉強をすることによって「知識」は得られますが、目的もなく取得した資格は「知識を他人にひけらかすだけ」しか使えず、そんなことをすれば逆に「バカ」の烙印を押されてしいまうことでしょう。
しかも、資格を得た知識を継続して使う機会がなければ、どんどん頭から抜けていきます。
そのうち、せっかく得た知識も再び資格試験を受けるまえの白紙の状態に逆戻りします。
そこで仕事上、必要になって取得した資格以外の資格を「死格」にしないためにはどうすればいいのかをいくつか考えてみました。
①取得した資格を武器に転職する
この場合の順序としては、
1.転職したい➔資格を取得する
2.資格を取得した➔もっと給料の高いところへ転職しよう
の2パターンが考えられますが、「転職したい」という気持ちが先に来ることによって資格を取得する1番のケースが多いと思います。
ただ、よく言われるように
「資格よりも経験が大事」
ってのも一理あります。
ただ、私としては
「資格も経験も両方大事」
だと思っています。
というのも、「資格持ってます」だけの人の場合、いざ仕事をして素人丸出しだったら「なんだよハッタリかよ」ってことになりますし、
逆に仕事は長年こなしているけれども「資格はありません」だと、最初に仕事をするときに少し不安に思います。
もちろん最初に実績を「これでもか」というぐらい伝えることが出来れば、資格がなくても信頼を得られますが、そんなに相手のことを時間をかけて調べる余裕のない場合は多いです。
人間って思っているよりも「イメージで物事を判断してしまう」ところがありますので、「ハクをつける」というのも意外と重要だと思っています。
②人脈を広げる
資格を得ることによって、その資格特有の集まりみたいなものがあったりします。
例えば私は営業職の経験がありますので、そのときにお客様にとって役に立つかなと思いファイナンシャル・プランニング技能士を取得しましたが、そこからさらに協会が指定する課題等をこなして「AFP(アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー)」という資格を取ると、FP協会というものの会員になります。
その会員になると、毎月情報誌が送られてきたり定期的なイベントへの誘いなどがあるのですが、もう一つ「SGグループ」という活動がなされています。
これは会員同士が集まって勉強会を開催しているもので、定期的に行われて勉強会のあとは大体懇親会なんかもセッティングされています。
要するに、「その資格を持っていれば参加できる場がある」ということです。
私もそれで何度か顔を合わせて仲良くなり、プライベートな友人とは出来ないような情報交換を気軽にできる相手ができましたし、相手から聞いた情報をもとにして判断の選択肢が増えました。
情報の質も、その人が実際に体験してみた生の情報が多いので信頼性が高いです。
また、よくネット等で使えない資格ナンバー1と言われている行政書士は、取得してみたら更に多くの人と知り合いました。
③資格の勉強で得た知識を活かして情報を発信する
世の中には特定の情報が知りたくて調べまわっている人がたくさんいます。
私もちょっと分からないことがあるとまず先にインターネットで検索をかけます。そんなときに専門性の高い情報がわかりやすく書かれているブログやサイトを見つけると、ものすごく助かってます。
そうした「特定の情報がほしくて困っている人」の役に立つためにも、自分の知っている情報を公開していくことはとても大事です。
人の役に立つ情報を発信することで、相手はあなたのファンになってくれたりします。
あなたのファンが増えれば、あなた自身が次のステップへ進むことができます。
例えば、より相手の役に立つためによりその分野について学んで向上していき、ファンを巻き込んだ商売のレベルにまでいくことができます。
「ただ資格を持っている人」から「その資格に関するなんからの商売」にまで持っていけば、確実に「資格を活かした」ことになるでしょう。
「資格」まとめ
資格を取ろうとする理由は様々ありますが、
「資格を取りたい」
というよりも、
「資格を取得してこうなりたい」
というのが、共通の目的なはずですよね。
ただの「資格マニア」な人であったとしても、
「たくさん資格を取ることによってみんなから凄いと思われたい」とか、
「たくさん資格を取ることによって自分に自信をつける」
といったように、資格を持つこと”だけ”が目的じゃないはずです。
漠然と、「これからなにか資格を取りたい」 というのであれば、
「取得したあと何をしたいのか」、「取得してどうなりたいのか」
を具体的にイメージすることで資格を「死格」にすることを最大限まで避けられるはずです。
また、もし「どんな資格を取ればいいのかわからない」というのであれば、「これを取ればこういう風になれる」という強いイメージを持っていかないと、取得するまで勉強するモチベーションを維持することができませんし、途中でやめれば人生の時間を無駄にします。
イメージしたら、あとは行動あるのみです。
「仮に資格を取得したとしてもああだからこうだから」とか
「やっぱりこの勉強は自分には向いてない」とか
辞める理由を挙げたらキリがありません。
決めたらあとは取得するまで何も考えず勉強する
今すぐ行動してみる
これが大事です。
是非いま悩んでいるというのであれば、まずは本屋に行ってテキストをパラ読みしてみみましょう。
「就職氷河期」とは一体何だったのか。当時の新卒者の今を5つ挙げてみる
バブルが崩壊して 数年後、アジア通貨危機などの影響でさらに景気が悪化して日本では就職氷河期に突入した。
現在のアラフォー世代がちょうど社会に出て就職するころのことで、
私が新卒として就職活動をしていたころは、ちょうど就職氷河期まっさかりで、同じ学校の同級生たちも「50社受けて全然ダメだった!」なんてことは日常茶飯事でした。
そんな周囲の状況を聞きながら、私も就職活動をしていましたが、面接に行けばなんとまあ偉そうなオッサンにああだこうだ説教を食らう圧迫面接を受けて帰るだけの日々。
当時は求人倍率が戦後ワースト1位とか2位のころでしたが、一方で世の中の風潮は
「最近は就職する努力もせず働きもしないダメな若者が増えている」
と大真面目に言われており、
「マラソンの○○選手は努力して金メダルを取ったのに、最近の若者は努力しようとしない、じつに情けない!」
と、一国の首相が発言しても世の中がそれに同調するという、異様な雰囲気でした。
その理論でいくと、マラソン選手が全員努力すれば全員金メダルを貰えるのか という矛盾が生まれるが、そんなことは誰も指摘しないし発言を批判しない。
「くっだらねえ!」
と思った私は、浪人して当時倍率が30倍ぐらいまで厳しくなっていた公務員試験を受
験し、なんとか合格して公務員として働き口を得たものの(しばらくして転職しましたが・・・)、やはり周囲ではアルバイトすら決まらないという厳しい状況の人もいました。
そんな就職氷河期に、「勝ち組」と「負け組」という言葉が突如生まれたと思います。
要するに、「正社員の座を手に入れた人は勝ち組」、「正社員になれなかった人は負け組」と、実にくだらないカテゴリ分けが生まれ、「日本は一体どうなってしまったんだ・・・」と、情けなく思ったのを覚えています。
そして現在、周囲の人たちが当時どう選択して、どうなっていったのかを挙げていきます。
1 就職活動によって正社員になったものの、ブラック企業だった
当時、求人を出しているところは新卒採用枠にもかかわらず「実務経験5年以上」とかアホ丸出しな求人があったり、そんなもんないので仕方なく「実務経験なし」で選ぶと、低賃金重労働のブラック企業が多かったです。
今ほど労働法がどうのと騒がれていなかったため、現在と比べればやりたい放題でしたね。
友人が就職した会社も、いわゆる新卒使い捨ての会社で、大量雇用大量退職システムで、過酷な勤務を強いられた友人は身体を壊して退職、現在はショップ店員などを転々としています。
また、他の友人が就職した会社では、詐欺まがいな事業をしている会社で、本人もおそらく会社の命令で昔の卒業アルバムなどで片っ端から同級生たちに電話してカモを探していました。
2 別の学校に入りなおして求人倍率が復活するのを待った
これを選択した友人は、大学卒業後に専門学校に入りなおすなどの「親の負担がかかる」ことを許されている状況でしたから、しばらく待ってそこそこ大手の企業に新卒で入社したものの、その会社が倒産、現在は実家でニート状態です。
かなり慎重な選択を取ったと思いますが、そこそこ大手の倒産というのは想定外の出来事だったのでしょう。
「想定外の出来事に対して対応できる能力」があったほうがリスクが少なくなります。
3 就職が決まらなかったが、アルバイト等の非正規雇用にありついた
このパターンは社会的にも問題になっていて多いと思いますが、何の人生設計もせずにアルバイトで食いつないだ人は、現在でもアルバイトのままです。
私の同級生でも、優等生だったにもかかわらず、このパターンにハマって現在は見る影もなく完全に浮浪者みたいな見た目になっています。
社会や周囲から「ダメ人間の烙印を押されて自信を喪失した状態」で何年も経つと、本当に人間をダメにしてしまいます。
当然、低賃金で不安定な雇用のため実家から出ることができず、自信もないため向上心やチャレンジ精神は皆無です。
4 当時入社した会社で、そつなく今まで過ごしている
このパターンも意外に多く見かけるパターンですが、話を聞けば、「上が詰まっていて全然出世できない」とか「なぜか給料が増えない」等々、
不満を聞くとキリがありませんが、やはりみんな就職氷河期のトラウマを持っている人も少なくなく、「転職してもそこがブラック企業だったらどうしよう」とか、「冒険して失敗するよりは今のまま耐えてしがみつこう」なんて人が多いです。
5 親の会社に就職した、または親のコネで就職した
当時、一番うらやましがられたパターンで、親のおかげで圧迫面接なんか受けることもなくすんなりと収入口を得られて就職氷河期なんのそのでした。
親の力が働いているため、ブラック企業で使い捨てられるリスクもなく、なんかノホホンとしてるなあと、当時はうらやましくも思えましたが、その分必死さがなかったため30歳を過ぎてから結構苦労しているように見えます。
逆にいうと、「食っていくために必死になる機会を親が与えなかった」
ということなので、何にもなく独立開業した人たちに比べてハングリー精神の有無が全く違います。
5 独立した
何人か独立した人たちがいて、偶然かもしれませんが共通しているのは当時独立した友人たちは「失敗している人がいない、むしろ成功している」ということです。
例えば、
・近所の酒屋のバイトすら決まらなくて独立をせざるを得なかった➔独立して現在は都心に自社ビルを構え、無借金経営をしている。
・日本はクソだから海外で修行して独立する➔独立して現在は日本、海外に会社を展開して規模を伸ばし続けている。
・就職できないからヒモになりながら趣味のCGに没頭していた➔現在は有名なイラストレーターで街中でも彼の絵をよく見かける。
リアルタイムでその様子を見ていたら、最初はとてつもなく大変そうでした。
「金がないのでサンマ一尾を何日かに分けて食ってた」
とか、会っても
「金がなくて喫茶店に入れない」
と、本当に生きるのに必死な感じが伝わってました。
就職氷河期まとめ
ざっと周囲の人たちの様子を挙げてみましたが、就職氷河期に限らず、常に「世の中の流れによって人生を踊らされている人たちがいる」
ということなんだと思います。
その時代によって違った苦労というものも必ずありますから、結局のところ本人のマンパワーです。
また、何が本人にとって幸せなのかは分からないので、当時選択した道が正しいのか間違っていたのかはその人次第になるかと思いますが、「時代の変化に対して相応の対応ができるかどうか」ってかなり重要です。
世界を見渡してみると、「生まれた時代と場所によって人生が決まる」なんてことは多くあることです。
それを考えると、いくら日本で生まれた時代が悪かったといっても、「パレスチナのガザ地区とかで生まれるよりかはこの日本で生まれたほうがはるかにマシ」といえるのではないでしょうか。
「親のコネのあるなし」なんてかなりみみっちい差ですから、あとは「自分がどう向上してチャレンジしていくか」ということなのでしょう。
なのでぜひ、この先の人生をチャレンジしてほしいですね。